はじめてのパリダカが、僕の考え方を変えた

最初のパリダカは、サポートライダーとして出場しました。エースライダーが完走できるようにサポートするのが僕の役目。その役目を全うする事だけを考えて走りました。元々ラリーには、そんなに興味がなかったんですよ。観客もいないところを走って、何が楽しいんだろうという気持ちも強かった。ただ、その頃オグショーが軌道に乗りはじめ、次に飛躍するための変化を求めていた時期だったので、世界一のラリーを経験することは、きっとプラスになると思い、出場を決めました。結果的には手痛い仕打ちを受けるのですが。
アフリカに渡って、2日目ぐらいのモーリタニアを走っていたとき。その前々日にエースライダーのスイングアームが折れてしまってリタイア。一人になった僕のバイクも同じところが折れて、はじめてのパリダカは終わりました。自分のリタイアよりも、エースライダーを完走させられなかった事が本当に悔しくて、男泣きしました。でも振り返ると、リタイアしてからのモーリタニアでの旅が、今の僕を作ってくれたと思います。
当時のパリダカは、リタイアするとマシンの回収車がやってきて、近くの村までは連れていってくれますが、そこから先は自分の力で進みなさいって、ぽーんと放り出されてしまう。通訳もいないアフリカの村でたった一人。服も着ていないような現地の人と何とかコミュニケーションをとり、裸電球一個の家に一晩泊めてもらい、ご飯を一緒に食べたりという旅をしました。そんな状況でも、それなりにいろいろ工夫をして、笑顔で暮らすアフリカの人々、その生活をこの目で見て学んでいくうちに、今までの自分は何だったんだろうと考えるようになりました。それまでの僕は仕事上で「もっとお金があったら」とか「もっと設備が良かったら」とか、環境に対する不平不満ばかりでした。でもアフリカの生活を体験して「日本に生まれた自分は、なんて恵まれた環境にいたんだろう」と180度考えが変わりました。そこからは「あるものをどうやって活かそう」と発想するようになりました。帰国してから、母にも「お前はパリダカに行ってから変わった」とよく言われました。僕の人生を変えてくれたのが、パリダカなのは間違いありません。

▲ 時には命の危険と隣り合わせの過酷な状況。ゴール後も、その日の自分の走りを冷静に振り返る。

▲ バハ1000ゴール直後。全ての体力を使い果たし、意識が朦朧とした中でゴールした。

▲ 普段は明るく陽気な小栗さんも、ラリーで見せる表情は真剣そのもの。

1 2 3 4